2015年のディズニー映画『トゥモローランド』を観ました。アパレルショップでも、ベルギーのEDMフェスでもなく、ディズニーランドのトゥモローランドを題材にした映画です。この映画の主張が、なんだかとても懐かしく、科学技術と社会を考えるときに重要な気がしたので、まとめておこうと思ってこの記事を書きました。
『トゥモローランド』の予告編を下に貼っておきます。イッツアスモールワールドの途中で隠された航路が開かれる予告編を映画館で観たときに、童心に帰ってわくわくしたのを覚えています。
この予告編、字幕もなんだか誇張されている気がしますし、本編の内容とは少し印象が違いました。映画館ではこれが流れていたと思うのですが…。一応、ディズニー公式っぽいものも貼っておきます。こちらの予告編もこんなにアクションシーンを推さなくてもいいのになと思います。実際、本編ではディズニー映画にしては派手なアクションが多いのですが(笑)。
以下、『トゥモローランド』に関するネタバレはほとんどなしで書いていますが、気になる方は観てから読まれた方が良いかもしれません。
『トゥモローランド』の描く夢と希望
『トゥモローランド』は、ジャンルとしてはディズニーらしいSF冒険活劇で、科学技術が発達した古き良きレトロフューチャーなユートピアが綺麗な映像表現で描かれています。決して超傑作と呼べる映画ではないのですが、最近のSF映画にはないものがふんだんに詰まった映画でした。それは、社会課題が山積みで、イノベーションやらムーンショットやらが叫ばれる現代ではなかなか語られない、いわゆる課題解決ではなく夢を叶える道具としての科学技術の在り方です。
映画本編は、発明少年が1964年のニューヨーク万博を訪れるところから始まります。少年はイッツアスモールワールドのボートに乗り込み、近未来的なトゥモローランドを訪れます。ここまでがオープニングシークエンスで、主人公は現代に暮らす宇宙好きで電気工学に詳しい女の子。父親の仕事を守るために、NASAのロケット打ち上げ場の解体作業を邪魔しています。そこから先は、偶然手に入ったトゥモローランドのバッジを巡って、トゥモローランドを知る人たちとの出会いを経て、なかなか派手なアクションをこなしながらエンドロールへと向かっていきます。ちなみに、これらのアクション、序盤の展開を単に盛り上げるためなのか、終盤ではヴィランたちがやたらとおとなしくて拍子抜けしてしまいました…。
映画のメッセージ自体は、未来に対して夢と希望を持とうというわかりやすいもの。オチとなる本作のヴィランの動機とSF理論の説明をもう少し丁寧に描けば、より伝わりやすくなっていたではないかとも思います。特に、ディズニー映画なので、大人だけでなく子どもたちもターゲットにしているなら、なおさらです。そこだけはこの映画のもったいない点かも。
現代の科学技術論に対してレトロフューチャーな未来を語る映画だけあって、懐古主義的な要素も目立ちます。話の転換点になるSFオタクの店ではこれでもかというくらいのオマージュらしき物たちが…(『猿の惑星』は目立っていた気がしました)。中でも、ディズニーが『スターウォーズ』の権利を取得した後の作品なので、トルーパーやテーマソングはばっちり目立っています(笑)。SF映画好きの心をばっちり掴んでいます。
科学技術による課題解決とは何なのか?
『トゥモローランド』を科学技術に頼れば未来が明るくなるという科学技術至上主義を宣言している映画だと見た人は、おそらくこの映画を酷評するのではないでしょうか?この映画が言いたかったのは、懐古主義的な要素からも明らかに、昔みんなが夢見ていた明るい未来をもう少し信じて前向きにがんばろうというメッセージだと思います。だからこそ、映画中で世界に対して”fix”という単語を使っているのでしょう。
映画の中でも、『トゥモローランド』のメッセージとしての「明るい未来」たるユートピアを説明するためのわかりやすい例として、ジョージ・オーウェルの『1984年』(大傑作!)やレイ・ブラッドベリの『華氏451度』(未読…)などを引き合いにしてディストピアが紹介されています。ディストピアのような暗い未来を語ることで問題提起できるということは、非常に強力なアプローチです。僕自身、ディストピアものは大変おもしろいと感じており、サイバーパンクやバイオパンクなどは考えさせられますし、本質に迫れる気がするので大好きです。映画の中でも語られるように、戦争や環境問題などの、科学技術に端を発する現代の社会課題を並べて直視し悲観してしまうと、そこにあるのはどろどろした科学技術批判の嵐になりかねません。では、科学技術による課題解決とはどうあるべきなのか?
課題解決とは何かを考えると、本来的には困っている人が幸せになるための営みだと考えるのが自然でしょう。みんなが幸せな社会を作るというのは、人類にとっての責務です。しかし、困っている状況というのは、誰かが幸せになれば相対的な差として必ず新しく生まれるものでもあると思います。隣の芝生は青いのです。これこそが、近年求められている持続可能な開発の真相であるような気がしています。科学技術やイノベーションが、このような文脈でだけ重宝されるのはもったいない。
科学技術はそもそもわくわくするもののはずです。課題はそれをわかりやすく見せるためのツールにすぎないのかもしれないと思います。『トゥモローランド』が伝える科学技術による課題解決とは、マイナスをゼロにするためのものではなく、初期値がマイナスだろうとプラスだろうと常にプラスに足し合わせていくということではないでしょうか。この意味での課題とは、解決すべきものというより、解決したいものに等しいのです。
万博で科学技術の夢を見られるか?
映画の中盤では、パリのエッフェル塔がとんでもない役割と見せ場を作ります。しかもこのガジェットがスチームパンクで、とてつもなくかっこいい。このエッフェル塔、1889年のパリ万博の目玉として作られた物です。
パリ万博と聞いて、かつて東京ディズニーランドにあったアトラクション『ビジョナリアム』を思い出しました。2002年になくなったということなので、小学校低学年頃までに訪れたのでしょうか。360度映像(今の全天球カメラとは異なりパノラマですが)の楽しさもさることながら、パリ万博でジュール・ベルヌと出会うストーリーが印象的で、よく覚えています。その影響もあって、小学校時代はジュール・ベルヌのSFを読み漁りました。今の東京ディズニーリゾートでジュール・ベルヌと言えば、ディズニーシーのミステリアスアイランド。『海底2万マイル』のネモ船長は、海底世界に美しさを感じて人の世を捨て、ユートピアの実現を目指した被迫害のインド人で、悲劇の天才科学者でした。センターオブジアースの原作の『地底旅行』は、知られざる地底世界があるという仮説を実証する科学者の話でした。どちらも、明るい科学を描いた名作です。幼心に、ディズニーが伝えたいメッセージを受け取っていたのだと、『トゥモローランド』を観て実感しました。
そんな子ども時代を過ごした僕にとって、2005年の愛・地球博は一大イベントでした。がんばって企業パビリオンと外国パビリオンを全部回りました。環境問題の重要さとおもしろさ、企業が社会を変えていっていること、世界にはいろいろな国と文化があること、などなど世界を知るという原体験でした。また、科学技術や学問のおもしろさを初めて感じた場でもあります。
さて、2025年には大阪万博が開催されます。テーマは『いのち輝く未来社会のデザイン(DESIGNING FUTURE SOCIETY FOR OUR LIVES)』となっているそう。課題解決やらSDGsやらが叫ばれ流行っている世の中で、どこまで明るい未来社会のデザインを伝える万博を実現できるでしょうか?どこまで目先の課題解決に捉われない本質と夢を語れるでしょうか?期待と共に、2025年にはできる限り大阪万博を訪れ、可能なら発信側に立ちたいと思います。